【平安時代の家相と建物 ②】

中国から日本に、仏教と共に風水の思想が伝わった奈良時代、その風水が独自に日本で発達したのが、「家相」です。平安時代の中期には、陰陽道の書物の中に「家相」、「地相」の記載がでてくるそうです。

平安時代の建築様式といえば、「寝殿造り」が有名ですが、その時代のすべての家が、「寝殿造り」であったわけではありません。なんだか原始的で、縄文や弥生時代のころの住居と思われがちな「竪穴式住居」ですが、平安時代においても、地方では、まだ立派に存在していたらしいです。ですから、都の有力な握りの貴族のみが、寝殿造りの邸宅に暮らすことができて、かつ「家相」を見ることのできる陰陽師と関わりがあったのだろう思われます。

そんな「寝殿造り」ですが、中心となる建物は、母屋と庇で構成された長方形の建物で、複廊、単廊で他の建物とつながった構成になっています。基本的には、柱だけの空間を扉や蔀(しとみ)で覆った建築なので、構造的な壁はありません。

また、この時代、トイレは「樋箱(ひばこ)」というおまるのような移動式で、食事も別の場所で作ったものを運んでいました。お風呂も毎日入るわけではなく、浴槽もありませんので、中心となる建物には、現代の設備的なものはありませんでした。今と比べると結構、不潔で、家の中も、ずいぶん臭かったなどという話もあります。
川のそばで、行水したり、排泄できる竪穴式住居のほうがよっぽど、快適だっかかもしれませんね・・・。

ですから「家相」の記述も、室内設備の吉凶はなく、「井戸」、「竈」、「厠」の吉凶の記載に限られていました。「家相」は建物単体というよりは、各建物の位置関係や方位を見るものであったようです。現代とずいぶん違いますね。


「家相」の成り立ちには、「風水」由来なもの以外に、古くからの日本の土着信仰や風土を起源にするものも含まれていると思いますし、それが、現代のような「家相」になるまでは、いろいろな変遷があるわけですが、それはまたの機会に・・・・。

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