失意のどん底から立ち上げたセゾン投信。澤上氏との出会いが転機に

〈前回までのあらすじ〉独立系の投信直販会社「セゾン投信」創業者で会長CEOの中野晴啓氏にロングインタビューを行い、創業当時の思いを振り返って頂きました。中野氏はバブル期の狂乱の中、運用者としてのキャリア…

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〈前回までのあらすじ〉
独立系の投信直販会社「セゾン投信」創業者で会長CEOの中野晴啓氏にロングインタビューを行い、創業当時の思いを振り返って頂きました。
中野氏はバブル期の狂乱の中、運用者としてのキャリアをスタート。顧客不在の短期売買を繰り返し、手数料を荒稼ぎする当時の運用業界に疑問を感じながらも、債券運用の経験から長期投資の可能性を探ります。
そんな中、企業会計制度の見直しをきっかけに法人資金の長期投資が難しくなり、個人資金を運用する投資信託に新たな活路を見出し始めます。しかしここでも、長期投資の理想とは裏腹に、短期売買による解約の嵐という現実が待っていたのです……。
●連載1回目はこちら

未来を描く投信が解約の嵐に…

ベア・スターンズ・アセットマネジメントとの共同運用でスタートした外国籍投資信託には「未来図」というファンド名が付けられていました。今にして思えば、何とも皮肉なネーミングだったことでしょう。

未来を描くはずの投資信託だったのに、運用開始から半年後から解約が増え始め、やがて買い注文が全く入らなくなってしまいました。こうなると、ただひたすら資金流出が続き、運用どころではなくなります。こうして私にとって初めての投資信託への挑戦は、失敗に終わりました。

正直、失意のどん底でした。そんな時、さわかみ投信の創業者である澤上篤人さんに出会ったのです。

澤上さんはスイスのピクテ銀行日本代表を辞めてさわかみ投信の前身であるさわかみ投資顧問を設立。個人の株式投資助言などを行っていたのですが、顧客数がどんどん増えていったためにさわかみ投信へと業態を変え、日本初の、どの金融機関の系列にも属さない、完全独立の投資信託会社を設立しました。それは、当時の環境から言うと、まさに「偉業」と言うに相応しいことだったのです。

そのさわかみ投信設立の時期と、私が未来図という外国籍投資信託を設定した時期が、ほぼ同じでした。だからというわけではないのですが、投資信託ビジネスに失敗した私は、当時のマネー誌の編集者を介して、澤上さんに会いに行ったのです。

澤上氏の言葉が新たな挑戦への想いに

自己紹介もそこそこに、自分の長期投資に対する想いを澤上さんにぶつけていました。最後まで私の話を黙って聞いた後、澤上さんは一言、こう言ったのです。

「お前はバカだな」。

そういう澤上さんの顔はニコニコしていました。「既存の業界のなかで長期投資をやろうと思っても無理なんだ。だから俺は自分でさわかみ投信を立ち上げて、証券会社なんかに頼らず、直販でさわかみファンドを販売することにしたんだよ」。

この言葉は目からうろこでした。当時、すでに投資信託会社による自社運用ファンドの直接販売が認められていたにも関わらず、私は「投資信託は証券会社に売ってもらうもの」という既成概念から抜け出せていなかったのです。

澤上さんに会ったことで、私の中で新たな挑戦をしようという想いが強くなり、投資信託会社を設立しようと考えるようになったのです。

そうはいっても、投資信託会社を設立するためには非常に高いハードルを越える必要がありました。何しろ当時、投資信託委託業の認可を取るためには、最低純資産1億円という縛りがあったからです。しかも、これはあくまでも最低限の純資産であり、これを1円でも割り込むと、その時点で営業停止になってしまいます。業務がスタートする当初は、入ってくるお金よりも持ち出しが多くなるので、この縛りをクリアするためには、数億円の資金が必要になります。

もちろん、そんなお金を私が個人で用意できるはずもありません。そこで私が当時、所属していたクレディセゾン系の投資顧問会社、セゾンインテックスを投資信託会社に衣替えしてしまおうと考え、親会社のクレディセゾンに直談判することにしました。

クレディセゾンの林野宏社長(現在は会長)に、私の長期投資に対する想いをしたためた手紙を、林野社長の秘書を通じて渡してもらいました。

すると数日後、林野社長から直々に電話が架かってきて、「中野君、面白いじゃないか。やろうよ」と言って下さいました。こうして投資信託会社設立に向けてのプロジェクトがスタートしたのです。

幾度のチャンスを得るも、自社運用ファンドの直接販売は実現せず

とはいえ、私もどうやって投資信託会社の設立認可申請をすれば良いのか分かりません。困り果てていると、澤上さんが「この人に会いなさい」と言われて、ある人物を紹介されました。今、セゾン投信でアドバイザーをして下さっている、ファンド・コンサルティング・パートナーズ代表の房前督明さんです。房前さんに相談したところ、「悪いことは言わないから、投資信託会社の設立なんておやめなさい」と言われました。

房前さんは、さわかみ投信を設立する際に、澤上さんの右腕となって投資信託ライセンスの取得に奔走された方です。力強い味方を得たと思ったのですが、けんもほろろに断られてしまいました。

でも、ここで引き下がるわけにはいきません。私は自分の決意をひたすら房前さんに伝えました。その熱意をくみ取っていただけたのか、翌日になって電話を下さり、「一緒に日本の投資信託に革命を起こしましょう」と言って下さったのです。

こうして認可を取るための準備に入りました。事業計画を策定し、商品の内容についてもグローバル分散投資型のファンドを2本立ち上げるというところまで固めて、ようやく金融庁から「認可申請書を提出してもいいですよ」という仮認可の段階まで漕ぎつけることが出来ました。澤上さんから「直販ファンドを立ち上げろ」と言われてから、2年の歳月が経っていました。

仮認可さえ取れれば、投資信託会社の設立認可はもらえたのも同然です。

しかし、ここでもまた大きくつまずくことになりました。私が所属していた投資顧問会社に、大手都市銀行を経て外資系大手銀行リテール金融に携わっていた人物が、社長として招へいされたのです。

私は、これから自分たちが取り組んでいる直販による投資信託会社の意義を一所懸命伝えようとしました。でも、その新社長には全く理解してもらえず、こともあろうに金融庁からもらえた仮認可を取り下げてしまったのです。

本人いわく、「私はこの会社に、今すぐ利益が出るビジネスをやりに来た。君たちの夢に付き合う気はない」ということで、投資信託会社ではなく証券業のライセンスを取得せよと命じられました。

しかも、証券業のライセンスが下りたあかつきには、今、一番人気のある投資信託を販売して手数料を稼げとまで言わんばかりの勢いでした。

当然、私としてはそれに従うことなどできません。気が付くと、私は社内で完全に孤立し、ほどなく人事異動の命令が下りました。親会社のクレディセゾンへの異動でした。部署は事業開発部といって、新規事業を企画する部署でした。

これまでの資産運用とは全く異なる、クレジットカードの仕事です。右も左も分からない状態でしたが、幸いなことに上司と仲間に恵まれました。仲間は何も知らない私にいろいろ教えてくれ、上司からは「この部署は、新しいことなら何でも提案できるんだ。自分のやりたいことを提案してみろ」と言ってくれました。

そして澤上さんからは、こう言われました。

「絶対にクレディセゾンをやめるなよ。我慢していれば必ずまたチャンスは来るからな」。

失意のどん底でしたが、少しずつ元気が出てきました。そして、そのうちに再び投資信託会社を設立するチャンスが巡ってきたのです。

役員全員が反対する中での逆転劇

その当時、クレディセゾンはグループとして証券会社や保険会社を持ち、金融ビジネスに取り組んではいたものの、どれも軌道に乗せられず苦戦していました。それで林野社長が、金融ビジネスを抜本的に見直すプロジェクトに着手したのです。

そのプロジェクトリーダーはとても頭脳明晰な人でした。さまざまなデータを分析し、彼が導き出した結論は、「クレディセゾングループにおいて金融ビジネスは成り立たない」というものでした。

会議の場でそれを発表したら、いきなり林野社長から怒りの声が飛んできました。

「できないという話を聞くためにやらせているんじゃない。もう一度やり直し。中野、お前がプロジェクトリーダーをやれ」と言われたので、「何をやってもいいのですか?」と聞くと、「いいよ、どうやったらできるのか、考えて持ってきなさい」と言ってくれました。

チャンスです。私は再び直販による投資信託会社のビジネスモデルを提案しました。そして2005年に、クレディセゾン内にインベストメント事業部が新設され、そこの部長にしてくれたのです。そこでセゾン投信の企画を立案し、金融庁に投資信託会社設立のための認可申請を再び提出することにしました。

しかし、ここでもう一度試練がありました。今まで私をサポートしてくれた上司が異動になり、代わりに担当常務として来たのが、これがまたメガバンク出身の人でした。

彼もまた「直販の投資信託なんて儲かるはずがない」と言う人でした。何度も説得を試みましたが、意見はずっとかみ合わず、私は再び降格処分となりました。私が勧めていたバンガードとの提携話も中断され、にっちもさっちもいかない状況に追い込まれました。

澤上さんに会って、「立ち行かなくなってしまいました」と言うと、「俺が反対している人間を全員説得してやるから、昼飯のアポを取れ」と言ってくれ、実際に反対している上司の説得に当たってくれました。

そして林野社長も、最終的に取締役会の席上で、役員全員が反対するなか、「やる」という決意を表明し、私にセゾン投信の社長に就任するよう言ってくれました。こうしてようやく本物の長期投資を個人の皆さんにお届けするために、セゾン投信が立ち上がったのです。

私が長期投資を浸透させるため、初めての外国籍投資信託を設定してから、8年の歳月が経過していました。

取材・文/鈴木 雅光(金融ジャーナリスト)

●「長期投資の理想を追求する投資信託。参入当初は解約の嵐だった現実」連載1回目はこちら

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