【洋楽を抱きしめて】苦労人ロバート・ジョンが放ったNo.1ヒット「サッド・アイズ」
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最初のヒットから米チャートの首位を射止めるまでに約21年かかったアーティストがいる。ニューヨーク・ブルックリン出身のシンガー・ソングライターのロバート・ジョンである。その大ヒット曲が「サッド・アイズ」(1979年)だ。
ロバートが初めてビルボード誌のポップチャートに登場したのが'58年。彼がまだ12才の時だった。彼のペンによる歌ではなかったが「ホワイト・バックス・アンド・サドル・シューズ」という作品で、当時の芸名はボビー・ペドリック・ジュニアだった。
'63年に出したシングルがヒットせず、しばらくは低迷期となり、父親を亡くしたことで学校を辞め、雑誌制作の仕事でなんとか生活をしていた(CD『ロバート・ジョン』の福田直木氏によるライナーノート)、この頃、アーティスト名をロバート・ジョンとした。
苦労人ロバートがようやく表舞台に立つのが'71年になってからだった。米ボーカル・グループのトーケンズの'61年のナンバーワン・ヒット「ライオンは寝ている」(The lion sleeps tonight)をカバーし、これが翌'72年にチャートの3位まで上昇したのだ。
ヒット曲が生まれたことでようやくアルバムが制作出来るものと意気込んでいたロバートだったが、レコード会社がこれを渋った。落胆したロバートは歌をやめようとまで思った(フレッド・ブロンソン著「ビルボード・ナンバー1・ヒット」音楽の友社)。そして彼はしばらくの間、音楽業界とは距離を置くことになってしまった。
'78年になると、かつてのプロデューサー、ジョージ・トビンから連絡を受ける。「再び、一緒にレコードを作らないか」という誘いだった。当時、ロバートは建築現場で日雇いの仕事をしていたが、この申し出を受け、ジョージのアドバイスで曲作りに励んだ。
そうして編曲を繰り返して生まれた曲のひとつ「サッド・アイズ」はシングルとしてリリースされ、5月19日に85位でチャートイン。そして20週後の10月6日にナンバーワンとなる。当時、1位になるまでに最も日数がかかった曲という記録を作った。
優しいソフトなメロディーはディスコ・ミュージック全盛の当時、異彩を放った。「サッド・アイズ」が1位の座から蹴落としたのはナックの「マイ・シャローナ」で、わずか1週で首位の座を譲ったのはマイケル・ジャクソンの「今夜はドント・ストップ」だった。
「サッド・アイズ」を収録したアルバム『ロバート・ジョン』をリリースした後は、'80年に『バック・オン・ザ・ストリート』をリリースする。このアルバムにはルビー・アンド・ザ・ロマンティックスの「ヘイ・ゼア・ロンリー・ガール」やフォー・シーズンズの「シェリー」のカバーが収録されている。彼の一貫した温故知新スタイルがうかがえる。
その後は2枚のシングルを発表するものの、再び一線を退いている。
文・桑原亘之介
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